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「芸術監督公開トークシリーズVol.2―公共劇場と地域性を考える―」 レポートを公開しました!
芸術監督公開トークシリーズVol.2―公共劇場と地域性を考える―
レポート
司会 皆様、本日はご来場誠にありがとうございます。このイベントは、4月に世田谷パブリックシアターで開催された『公共劇場における芸術監督の役割を考える』に続く第2弾です。公共劇場の芸術監督が集まり、舞台芸術の未来、芸術監督とはどういう仕事で、今後どのような役割を担っていくべきなのかを、お客様の前でざっくばらんに話し合う企画です。ご登壇の皆様をご紹介いたします。世田谷パブリックシアター(以下パブリックシアター)の白井晃さん、富士見市民文化会館キラリ☆ふじみ(以下キラリ☆ふじみ)の白神ももこさん、そして彩の国さいたま芸術劇場(以下さい芸)の近藤良平です。KAAT神奈川芸術劇場(以下KAAT)の長塚圭史さんと、今回はオブザーバーとして参加いただく新国立劇場の小川絵梨子さんはオンラインでお話いただきます。まず前回の開催会場となったパブリックシアターの白井さんから、開幕のご挨拶をお願いいたします。
白井 4月は話題が多岐に渡り濃いトークイベントとなりまして、全員に「まだまだ語り足りない」という感覚が残りました。それなら開催する劇場を持ち回りにし、新たにゲストも招いて、より深く考えていこうということになり、本日はさい芸にホストになっていただきました。どうぞよろしくお願いいたします。
司会 今回は“地域性”をキーワードとし「公共劇場と地域性を考える」という副題をつけました。そして本日、近藤芸術監督が「ぜひ話したい」とお声がけしたのが白神ももこさんです。ここからは近藤さんに進行をバトンタッチいたします。
アーティストと劇場の出会い
白神 今日はありがとうございます。お招きいただき光栄です。この客席に、キラリ☆ふじみにいらしたことがある方ってどれくらいいらっしゃるでしょうか……?
(多くの観客が挙手)
白神 ああ~、すごい! ありがとうございます。
近藤 素晴らしい。たくさんいますね。白神さんが芸術監督をされているキラリ☆ふじみは、どんな劇場ですか?
白神 劇場があるのは埼玉県富士見市で、2002年開館です。最寄駅は鶴瀬で、池袋から東武東上線で約30分。いわゆるベッドタウンになります。
近藤 駅からどのくらいのところにあるんですか?
白神 歩いて20分ちょっとあるんですが……でも前より行きやすくなりました。なぜなら劇場前にららぽーとが出来たんです! そのおかげでバスも通り、直線距離の道もできまして、以前よりグッとアクセスしやすい劇場になったんです。
近藤 それは大きいですね。白神さんは芸術監督に就任する前から劇場に関わっています。まずはその経緯から教えていただけますか?
白神 そこを説明するためには、劇場の成り立ちからお話するのが良いかと思うのですが……少し長くなってもいいですか?
近藤 どうぞ!
白神 うちの劇場の成り立ちは少し特殊なんです。自分たちの住んでいる街をどうしたいか、どうやって楽しい地域にしていきたいか、住みやすい場所にしていきたいかを考えようということで、市民から市役所に劇場建設のアイデアを持ちかけ、2002年にできた劇場なんですね※。ただ劇場運営の経験がない市役所/市だったので、平田オリザさんに相談を持ちかけて、2002年から2年間の演劇プロデューサー職を経て、初代芸術監督となったと聞いています。2代目の芸術監督は生田萬さんでした。
※最初に市民による建設検討委員会が発足し、建設構成について検討。基本構想がまとまり、それをもとに基本計画を策定。30人の公募委員により市民文化会館検討委員会を設置し、運営についての検討がすすめられた。
近藤 なるほど。
白神 当時私は桜美林大学(現芸術文化学群演劇ダンス専修)で平田さんの生徒でした。なのでキラリ☆ふじみの成り立ちについても、芸術監督の必要性に関しても、学校の授業でオリザさんからお話を聞いていました。それでその生田さん体制時代に「レジデンスカンパニーを作る」という話を聞いて、自分が主宰するダンスカンパニー「モモンガ・コンプレックス」で応募し、「キラリンク☆カンパニー」として、作品創造や教育普及活動に携わり、劇場に関わることになりました。それが2008年ですね。
近藤 劇場と仕事したり、ものづくりをするスタート地点が、すでにキラリ☆ふじみだったわけですね。
白神 はい。「キラリンク☆カンパニー」になる前の2006年にも、わくわく☆探検記「キラリの国のあちらがわ」という、劇場ツアーの構成・演出も手がけていましたし。これは劇場内の「普通だったら入っちゃいけないところばっかりに行こう!」みたいなツアーで、今じゃ考えられない無茶な場所へ観客を誘うツアーでした(笑)。まだ私も学校を卒業したばかりで、若くてなにも知らなかったので……でもその時の経験があったので、レジデンスカンパニーに応募したいと考えたんですよね。そして自分自身としても、ちょうどカンパニーの拠点が欲しいと思っていた時期でしたし。
近藤 クリエイション初期から、すでに地域の中に入っていたんですね。ここで、皆さんが劇場と関わった最初の体験についても伺っていきたいのですが。白井さんはどうですか?
白井 僕が劇団(「遊◎機械/全自動シアター」)を立ち上げて、初期に作品の発表の場として選んだ劇場は、新宿にあった「タイニイアリス」になります。そんな活動初期に公共劇場からお声がけいただいたのは、今は閉館している青山劇場ですが……。そこで開催されるフェスティバルの1回目にお誘いいただいたのがきっかけで、ある時期まで、青山円形劇場を拠点に活動していました。そういえばその頃、「三軒茶屋に劇場が建つらしい」と誘われて、パブリックシアターの工事現場を見学させてもらっているんです。ヘルメットを被って見ましたよ。
近藤 へ〜! 例えばそんな若かりし頃に、違う方向に行っていた可能性もありましたか?
白井 演劇で食べていけるとは思っていなかったので、大学を卒業して5年間はサラリーマンをやっていました。でも昔のメンバーに「ちょっと公演手伝ってよ」と誘われて稽古場に足を入れ始めたら……やっぱりね、好きだったものだから、どんどんのめり込んでしまって。劇団を立ち上げた当初は完全に二束のわらじでした。でもある日、海外出張命令が出て、公演と被ったんですよね。まあ会社には自分の代わりになる人はいっぱいいるだろう、でも劇団には自分の代わりはいないと思って辞表を出しちゃったっていう。それが29歳だったのかな。
近藤 面白いですね、初めて聞きました! 圭史はどういうふうに始まった?
長塚 僕は高田馬場近辺にある都立高校にいたので、その関係で高田馬場のアートボックスホールという劇場に足を踏み入れるようになったのが高校1年生。卒業する時に神楽坂die pratzeで公演を打って。まあだから、高校時代から高田馬場近辺の劇場を使っていました。
近藤 「大きな劇場でやりたい」とか「いやこの小ささが好き」とか、そういった空間のサイズ感に関しては、どう考えていましたか?
長塚 僕はもう、下北沢の駅前劇場で永遠にやれればいいなと思っていました(一同笑)。でも、もちろんすぐには駅前劇場ではできないんですよ。そこまで何年もかかりました。
近藤 なぜこんな話題を振ったかというと、「芸術」「劇場」「芸術監督」の話からスタートすると話が大きくなるので、皆さんのクリエイションのスタート地点を伺いたかったんですよね。僕も自分のことを話すと、「コンドルズ」は神楽坂のセッションハウスというダンススタジオでスタートしました。そんな時期に、グローブ座のフェスティバル(「グローブ座 春のフェスティバル」)に期限が遅れた形で応募しちゃったら通っちゃったもので……すごい困ったんですよ。
白井 困った?
近藤 困りました。要するに、知識もなければ方法も分からないし、お金の工面の仕方も知らなくて。それでその後、ある助成金の申込みを震えながら書いて、しかもまたそれも期限遅れで出したら奇跡的に通って(一同笑)。その時に初めて、「劇場と関わるってこういうことなんだ」とちょっと思いましたね……あ、今急に思い出しました! 僕、横浜国立大学出身なんですが、初めて自分の作品を劇場でやったのは、横浜市のいずみ中央駅にある(横浜市泉区民文化センター)テアトルフォンテだったんです。当時出来たての劇場でもう嬉しくて。この流れで一つ聞いていいですか? 皆さんは嫌いな劇場とかあります?(一同笑)。
白井 いや〜そうですねぇ(笑)。……「嫌いな劇場」では全くないのですが、演劇を始めたばっかりの頃は、紀伊國屋ホールという場所は、若手憧れの劇場で、特別な意味を持っていたんですね。僕が学生時代はつかこうへいさんもやっていらしたし、野田秀樹さんの夢の遊眠社、僕と同年代の鴻上尚史さんの第三舞台。輝かしい集団がみんなここでやっていた。で、「じゃあ自分は違う方向へ行こう」と決意したという経験はあります。当時の小劇場ブームに、“小劇場すごろく”というあまり好きではない言い方があったんですよね。自分としては、そうした道筋とはあえて違う方法を選んで、進んできた気はします。だから嫌いな劇場というよりは、ある意味、意識していた劇場ですけれど。
近藤 いいですね。
白井 だから青山円形劇場という新しい劇場が使えると決まった時に、「円形の劇場で、果たして演劇なんてできるのかな? よしやってみよう!」と未知の世界にチャレンジできた部分はあるかな。もちろん、当時の劇場プロデューサー(能祖將夫)との関係性も強かったとは思いますが。
近藤 コンドルズは2000年代によく、新宿のシアターアプルで公演をやっていたんですね。もうなくなってしまいましたが。舞台の構造はとても好きだったけれど、楽屋に入って電気をつけると、ぶわー!っとねずみが逃げるんですよ(一同笑)。あそこはすごかった。圭史は印象に残る、いわくつきの劇場はありますか?
長塚 この話題になった途端に、シアターアプルを思い出しましたよ。
近藤 アハハハ!
長塚 コンドルズに客演した時もシアターアプルでしたし(笑)。あの、先ほど白井さんがおっしゃっていた「憧れの劇場」という話題で言えば、学生時代、早稲田大学の大隈講堂裏に、劇研(早稲田大学演劇研究会)のテントがあったんです。学生演劇の空間ですから全くきれいじゃないけど、同じ学生からすると「すごくいい場所、持ってるなー!」と、悔しい思いで見ていた思い出があります。お客さんはいっぱい集まるし、空間自体もカッコイイし。
白井 そのテントね、早稲田にいた時に僕が買ったんですよ(一同どよめき)。あ、僕が買ったというのは語弊があるかな。当時劇研の幹事長からの指示でやらされていて、知恵を出して資金を集めて買ったのがあの黒いテントなんですよ。今どうなっているのかは、分かりませんけど。
長塚 いっつも、苦々しい気持ちで見てました!(笑)
白井 何年後かに大隈講堂前でのテント公演禁止になっちゃいましたから、本当に夢のような時期があったんです。
公共劇場と地域性
近藤 ……あのう、本日僕たちはですね、「公共劇場と地域性」を考えるために集まっています(笑)。
白井 良平さん、そっちの話題へ行こう!(一同笑)
近藤 でもここまでの話も「公共と地域性」につながりはあると思っていて、要はわれわれも突然に “芸術監督のイス”に座ったわけではなく、ある時点から舞台や劇場と関わりを持ち始め、積み重ねてきた経験があることを確認したかったんです。具体的に話していくと、パブリックシアターは世田谷区、キラリ☆ふじみは富士見市、さい芸は埼玉県、KAATは神奈川県、新国立劇場は国の劇場になります。向き合う人口のサイズが全く違うんですよね。では白神さんにお話を戻して、地域や市民との関わりについて伺えますか。
白神 先ほどお話したように、市民の方々の「劇場がほしい」気持ちから立ち上がった劇場であることは、運営や関わりを考える上で、今も大きな核となっています。近くに広場と図書館と芝生があるので、子どもが立ち寄りやすい場所なんです。ららぽーとができたことで人の流れも増えましたし。私の前に芸術監督だった多田淳之介さんが始めた「こどもステーション」という企画があって、これはスタート当初、子ども向けのワークショップでしたが、劇場で月に1回、芸術監督と“ただ遊ぶ”内容に変化しました(現「こどもステーションplus」)。多田さんが子どもたちとワークショップで接していくうちに、彼らは学校で「課題を言われてこなす」ことには慣れているのに、自分たちでやりたいことを考えたり、今集まった人たちで何をするか考える経験がないことに気づき、今の形になったと伺いました。
白井 面白そうですね。
白神 何も決めずに芸術監督がただ劇場に行って、もみくちゃになって遊ぶ時間(笑)。でもこのおかげで、子どもたちが劇場に足を運ぶ習慣が生まれるんです。わたしは彼らに「モモンガ」と呼ばれているのですが、一緒に遊ぶうちにだんだんと「モモンガって、何をしている人なんだ?」と疑問に思い始めて、ダンスを観てくれたり、市民参加の企画に参加してくれたり。近年はかつての参加者が高校生・大学生に成長し、「演劇をやりたい」「舞台関係の仕事がやってみたい」という流れが生まれている感じですね。
近藤 劇場と市民が、自然な流れで距離を縮めている感じがいいですね。富士見市の人口はどのくらいですか?
白神 約11万人で、比較的劇場に足を運んでくださる方々の顔が把握しやすいサイズ感だと思います。あと一つお話したいのは、今やさいたまゴールド・シアター並になっている高齢者劇団があること。お若い方ももちろんいらっしゃいますが、2006年に市民公募で結成した「キラリ☆かげき団」はメンバーの半数が65歳以上、最高齢の方は83歳です。
近藤 歌劇……歌う感じ? (手を振り上げて)“過激”じゃないですよね?
白神 ある意味過激でもありますが(一同笑)、このかげき団は、今まではオペラシアターこんにゃく座さんの指導のもと日本語オペラの作品を発表していましたが、芸術監督が関わることはありませんでした。昨年から『モガ惑星』という音楽企画で関わってもらうようになったり、今年はかげき団の公演に私も演出家として関わります。
近藤 なるほど。白井さんは今年KAATからパブリックシアターに移りました。規模の違いについてはいかがですか?
白井 もちろんKAATでも地域との結びつきはありましたが、やはり人口約920万人の県と、約93万人の区の劇場では、向き合う人口の規模感で比べるとかなり感覚は違います。またパブリックシアターは開館から25年積み上げてきたさまざまなプログラムもあり、そういったことを見渡しながら、区の劇場としてどう皆様にアプローチし、関わりを持っていくか、僕の中ではKAATの頃よりそのことを考える比率が大きくなっているのは事実です。そういえば長塚さんも、KAATに参与として関わっていただいた時にまず、劇場の周辺の散歩から始めてくださいました。環境を知ることは重要ですよね。
長塚 先程、白井さんもおっしゃったように、神奈川県の人口が約920万人で、横浜だけで約370万人。横浜から県全体を眺めると、箱根のある西側にずっと広がっているわけですね。そこへアプローチする試みの一つが、前回もお話した隔年の県内ツアー(県内6都市を巡演するKAATカナガワ・ツアー・プロジェクト)で、このことによって、横浜中華街に劇場があることを、神奈川各所にアピールしていこうと考えています。ただ、それだけではとても成立しませんので、他にも密接に繋がれる方法を探し、意識するべきだと感じているところです。創造型の劇場の数は少ないけれど、やはり県内各地を見渡して探してみると、結構な数の劇場があるんですよ。そういう場所にツアーで訪れて、継続した関係を積み上げ、対話を続けていけば、全体の視野が広がるのではないかと考えています。2011年に開館し、宮本亞門さんや白井さんといった前任の芸術監督のご尽力ですっかり知られる劇場になりましたが、県内でさらに認知度を上げたい思いもあって。本当は近隣の飲食店を含めて知り合っていくことから始めたいのですが、コロナ禍が思うように収束せず、ままならなくて……劇場の中にとどまっているだけではなく、劇場と外をつなぐ回路を探っていきたいと考えています。遠くと近く、両方の視野を持たないといけないと思っていますね。
白神 KAATカナガワ・ツアー・プロジェクトは、県立劇場の試みとして面白い企画ですよね。最初に話を持っていった各劇場の反応についても伺いたいのですが。
長塚 各劇場で規模や予算の違いもありますし、すでに定期的に呼んでいる団体でスケジュールがいっぱいで、新しい公演を入れる余白がない劇場もあります。地域の交流の場としてほぼカレンダーが埋まっているところもあったりして……要は「やりたい」と言ってすぐに「やりましょう!」となる場所ばかりではないんです。僕らはある意味傲慢にも、「作品を持っていくと喜んでもらえる」と勝手に思い込んでいたわけですよ。でもそう簡単なものではなくて、先ほども言ったように、1回で終わっちゃう、つまり、一瞬のにぎやかしで終わるのはダメだと痛感しました。各劇場にはさまざまな事情があって、予算や劇場サイズもさまざま。そこと照らし合わせて作品をプレゼンしないといけないし、そう具体的に考えていくと、規模もただ大きくするだけではダメなんです。
白井 県はとても広いので、長塚さんの御苦労はとてもよく分かります。ちょっと問題発言になりますけど、10年前の僕が「公共劇場と地域性を考える必要があるか?」と聞かれたら、「はい」と即答しなかったと思うんです。僕がKAATの芸術監督になった時はまだ開館から数年の劇場で、まずは知ってもらうこと、アートシンボル、拠点になって「足を運んでもらうんだ」という思考でしたから。例えばNYのグッゲンハイム美術館は、「あそこの美術館に行けば面白いものがある」と世界中の人が目指すアートの拠点ですよね。今改めてこう言うのはちょっと恥ずかしいけれど(笑)、あの頃は「KAATもグッゲンハイムのように、横浜に行く目的の一つになる、そういった場所になろうよ!」と言っていたんです。でも公共劇場がどんどん増える今、その思考だけでは難しいと感じています。そうして現在、パブリックシアターの芸術監督になって「これまで」を勉強してみると、(初代劇場監督である)佐藤信さんもさまざまなアウトリーチをされていた。シンボルをつくればおのずと地域との関係性が生まれるのか、それともこちらから手を伸ばしていくのか、そこは劇場の指針になりますし、芸術監督の選択次第。向き合う地域が大きくなればなるほど、どこに手を伸ばすかは難しい問題ですし、小さくなれば地域との結びつきは密接になる。だって国立劇場になると、向き合う地域が日本全国になってしまいますから。だからなんと言うか、小さい単位で地域へのアプローチが行われていけば、輪が広がって、全国に劇場文化が広がって行くんだろうなと、今皆さんのお話を伺いながら考えました。つまり僕がパブリックシアターに来て感じているのは、これまでとは全く違うモードにシフトしつつあるということです。
近藤 そう思うと僕も大きな埼玉県ですから、全部に向き合うのは至難の業ですよね。
白井 本当に大変だと思う。僕、劇場の広がりということですごいなと思うのは、やっぱり串田和美芸術監督のまつもと市民芸術館。松本は人口約24万人ですよね。うらやましいのは、松本に到着すると、駅やら街やら、劇場でやっている演目のポスターがあちこちに貼ってあるんですよ。それでお蕎麦屋さんでも、お土産屋さんでも、「何の演目で来られたんですか?」と聞いてくれる。劇場の動きをよく知っていらっしゃるんですよね。あの認知度!
近藤 すごいですよね。
白井 うらやましいなって。
近藤 松本って蕎麦屋でオペラが流れていたりするんですよね。
白井 そうなんですよ。松本は小澤征爾さんが創立した音楽祭「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」(現「セイジ・オザワ 松本フェスティバル」)もありますし、歴史的に芸術の街として熟成してきた風土もありますから。そう思うと、都市の劇場は人々の思考が分散するだけに、アプローチを考えたときに難しい部分がいっぱいある気がします。
近藤 あとは街の賑わい、駅と劇場のアクセスは大きいですよね……この話は前のトークでも言いましたが、与野本町駅からここさい芸の、実際に歩く距離と、心の距離が、どうにも埋まらないのが気になっているんですよ。
白神 うちも遠いので、すごく分かります。劇場に向かう心が盛り上がっていかないですよね。
近藤 そうなんです。それでどうしようもなくて、「トゥクトゥクとか走ったらいいな」と前回言っていたと思うんですが……。
白井 4月におっしゃっていましたね。
近藤 そうなんですよ。で、この8月20日と21日に開催されたオープンシアター「ダンスのある星に生まれて2022」で、ついに走らせたんです!
白井 すごい!
近藤 ここ与野本町は中央区になるのですが、近藤(裕司)区長さんとは同じ苗字つながりで、どんどんお近づきになりまして(笑)。さいたま市は電動トゥクトゥクを広げようという動きがあるらしく、それをお借りして、来場者を乗せて駅と劇場の間を走らせたんです(オープンシアターで走ったのは、電気で走る3人乗りのエコカーEV-TUK TUK)。劇場では試乗会もやったりして、最高に楽しかったですね。こうした小さな試みを通して、地域との距離をどう縮めていくか、少しずつ考えていきたいと思っています。
白井 長塚さんはKAAT PAPERという季刊誌をお作りになっていて、そこで街の方々とざっくばらんにお話されていますよね。近くにあるホテルの支配人や、中華街の方と話したり。それを全部誌面に掲載し、こういう人たちに囲まれている劇場なんだということを発信されていて、素晴らしいなと思いつつ拝読したのですが。
長塚 KAAT PAPERは正直言って楽しいですね。作っているチームは大変なんですよ。でも「これをやるとこういうことが起きるかもしれない」という希望や目的を共有していく効果が大きいと感じています。ただ、地域の方とお会いして、その関係性を継続していくことが大事なんですよ。たった1度の対話で過ぎ去ってしまってはいけないから。ここでの出会いが面白い形に発展した例としては、今年、中華街で春節に飾られるランタンを、劇場のアトリウムに置いてもらったんです(KAATフレンドシッププログラム「横浜中華街 春節オブジェランタン展示」)。こうした関係性が生まれるとやっぱりすごく興奮するけれど、輪が広がれば広がるほど、そこをどう継続し、繋げていくかは課題になっていきます。
近藤 いいね。僕もこの夏、新しい盆踊りを作ったんですよ。僕ほら、踊りが好きじゃないですか。(一同笑)。
白神 大好きですよね(笑)。
近藤 今年のオープンシアターの後夜祭で「さいさい盆踊り」という新作盆踊りを発表したのですが、それを持って北与野のお祭りに参加したんです。長い歴史ある夏祭りで、地域に踊りの文化が溶け込んでいる素晴らしいイベントなんですが、結果的には僕も一緒に踊って結構盛り上がって。そしてさらに、劇場近くの小学校でも盆踊りのワークショップを開催して、学校の運動会なんかでも、踊ってくれそうな動きも生まれています。僕的に、これはいいムーブメントだぞ!と思って。これを埼玉全域に広げられたら面白いなと、大いに野望を抱いています(笑)。
白神 富士見の方にも来てください!
近藤 そうそう、劇場が連携していくと相互関係を作れますよね。
司会 近藤さん、そろそろ終わりのお時間がやってきてしまったので、今日はこの辺りで締めたいと思います。最後に皆様から一言ずついただけますか。
白井 地域性については考えなくてはいけないことがたくさんありまして……ちょっと宣伝になるかもしれませんが、パブリックシアターでは開館当時から学芸事業というものがありまして、さまざまなアウトリーチを実施しています。コロナ禍の打撃もあり、今、僕は劇場文化に危機感を感じていて、自分たちから積極的に出ていかなくてはいけない、文化を発信する場所にしていかないといけないということを、今日も皆さんのお話を聞いていてつくづく感じることができました。
長塚 今日はお集まりいただきありがとうございます。大劇場だけではなく、まだ僕らが知らないような小さな劇場も含め、僕は、みんなで作品を交換しあえる環境が実現していければと思っているんですね。各々の劇場で作品をつくって、お互いにそれを受けとめる。そうした交流はすぐに実現できることではありませんが、こうして各劇場が情報を共有していくことで活発になっていくと思っています。
白神 私は、病院に医者がいるのと同じように、劇場にアーティストが在中していると、何かが動いていくと思っているんです。地域の人の発表会でも「どうしたらいい?」と気軽にアーティストの意見を聞けたら、もっと楽しくなったり、面白いことが起きると思うんです。今日は皆さんのお話を聞きながら、どんな小さな劇場でも、やっぱりアーティストが在中している劇場には価値があると思いました。今日はお呼びいただいて、とてもありがたかったです。
司会 今回はオブザーバーとして新国立劇場の小川絵梨子さんにもオンラインで同席いただいておりました。小川さんから今日の感想を一言いただけますでしょうか。
小川 今日は行けなくて本当にごめんなさい。皆さんのお話を伺って、改めて劇場が存在する意味への思考が深まりました。そして、劇場によって全く事情も違い、地域との関わり方もいろいろだと確認いたしました。各劇場のお話を積極的に伺うことは学びですし、作り手がこうやってつながっていくことは未来をつくる行為の一つだと思っています。
司会 では最後に近藤さん、締めの挨拶をお願いいたします。
近藤 皆様本日はこんなにお集まりくださって本当にありがとうございます。正直言って、まだまだ話し足りないですし、このトークシリーズを継続していくうちにお客さまが減っていくと困るので(笑)、しぶとく応援してください。さい芸は10月から2024年2月いっぱいまで改修工事による休館に入りますが、どうぞお忘れなく。休館中は埼玉会館を拠点に、いろいろな面白いことを発信していきます!
文:川添史子/撮影:宮川舞子
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