Vol.117
2025年10月号
埼玉会館
2025年11月
21日(金)10:30/14:30/18:30
【問い合わせ先】 埼玉映画ネットワーク048-762-9407
※前売券なし・当日現金支払いのみ・全席自由・各回入替制・整理券制
◎14:30の回終了後、アフターイベント開催予定!
ベルリン国際映画祭(第73回)でまさかの⾦熊賞《最⾼賞》受賞!
⽇仏共同製作の「優しい」ドキュメンタリー
2023年2 ⽉、第73 回ベルリン国際映画祭でクリステン・スチュワートら審査員たちが華々しい作品群のなか⾦熊賞《最⾼賞》を贈ったのは、ある1 本のドキュメンタリーだった。「⼈間的なものを映画的に、深いレベルで表現している」と賞賛された本作を⼿掛けたのは、世界的⼤ヒット作『ぼくの好きな先⽣』(02)で知られる現代ドキュメンタリーの名匠ニコラ・フィリベール監督。多様性が叫ばれるずっと以前から、社会的マイノリティーとされる存在や価値が共存することを淡々と優しい眼差しで捉え続けてきた。本作には、ニコラ監督と20 年来の交流を持つ配給会社ロングライドが、『⼈⽣、ただいま修⾏中』(18)に続き共同製作として参加。⾦熊賞受賞の⼤きな反響を受けて、25カ国以上の国々で公開が決定。⽇本でも、時期を繰り上げて緊急公開されることとなった。
アダマンについて
アダマンはセーヌ川右岸のケ・ドゥ・ラ・ラペ、リヨン駅からすぐのところにある。“デイケアセンター”であり、パリ中央精神科医療グループの⼀部だ。このグループには、2 つのCMP(Centres Médicaux Psychologiques:精神科医療センター)、1 つの移動チーム、かつてシャラントン精神病院として有名だったサン=モーリス総合病院付属エスキロール精神科病院の2 つのユニットも含まれる。
ゆえに、ここは孤⽴した場所ではない。グループを構成するユニット同⼠がネットワークを形成しているので、患者と介護者は常に移動して⾃分の地図を作り、提供されるさまざまな要素の中から⾃分に合った解決法を⾒つけることができる。
アダマンは、セーヌ川に⾯した⼤きな窓のある表⾯積650 平⽅メートルの⽊造建築だ。建築家は介護者やセクターの患者と密に連携して設計を⾏った。開館は2010 年7 ⽉。フランスの公的な精神科医療はセクターに分かれており、アダマンはパリ中央グループの他の受け⼊れセンターとともに、パリ1〜4 区の患者を受け⼊れている。
毎⽇通う患者もいれば、時々、定期的あるいは不定期にしか来ない患者もいる。年代も社会的背景もさまざまだ。ケアチームは、看護師、⼼理⼠、作業療法⼠、精神科医、秘書室、2 名の病院職員、さまざまな経歴を持つ外部協⼒者で構成されている。⽇常⽣活には常に注意が払われ、患者も介護者も皆が協⼒して“⼀緒に作り上げて”いる。
治療的機能にはグループ全体が関与する。肩書、地位、学位、序列、性格、仕事のやり⽅に関わらず、誰でも関与することができる。患者がその⽇バーを担当している⼈(ケースワーカー、看護師、“単なる”インターン、他の患者)に重要なことを打ち明け、翌⽇の診察で精神科医に多くを語らなかったとしても、誰もショックを受けることはない。ケアチームはバラバラに与えられた情報を結びつける⽅法を⾒つけるからだ。
アダマンでは、裁縫、⾳楽、読書、雑誌、映画上映会、作⽂、絵画、ラジオ、リラクゼーション、⾰細⼯、ジャム作り、⽂化観光など、数多くのワークショップが⾏われる。しかし患者は、その場の雰囲気に浸かりながら、ひと時を過ごしたり、コーヒーを飲んだり、歓迎とサポートを感じたりするためだけに参加してもいい。ワークショップはそれ⾃体が⽬的ではなく、患者が家に引きこもらずに世界と再びつながりを持てるようにするための名⽬に過ぎないのだ。
ニコラ・フィリベール監督インタビュー
—ラ・ボルドでの撮影(※2)から何年も経って、また精神医学の世界で映画を撮りたいと思ったのはなぜですか?
私は以前から精神医学にとても関⼼があり、注⽬してきました。不気味であると同時に、あえて⾔わせてもらえば、とても刺激的な世界です。そこでは⾃分⾃⾝について、⾃分の限界について、⾃分の⽋点について、そして世界の仕組みについて、常に考えさせられますからね。
精神医学は、私たちの⼈間性について多くを語る⾍眼鏡、拡⼤鏡なのです。映画作家にとっては、どれだけ追求しても⾜りない分野です。それに、この25 年間で公的な精神科医療の状況はかなり悪化しています。予算削減、病床の閉鎖、⼈員不⾜、チームの意欲喪失、施設の⽼朽化、管理業務に追われて単なる警備員になりがちな介護者、隔離室と⾝体的拘束の復活。この状況が、本作を撮るさらなる動機になったことは間違いありません。
精神科医療に⻩⾦期などありませんでしたが、「今や精神科医療は限界だ、当局から完全に⾒放された」という声が各⽅⾯から聞こえてきます。まるでもう“狂った”⼈たちを⾒たくないかのように。もはや彼らは、危険な⼈間であるという偏⾒を通してしか語られません。少数の特殊な事件を恥ずかしげもなく利⽤する⼤部分の政治家と特定のマスコミの安全志向が関係していることは明らかです。この惨憺たる状況の中で、アダマンのような場所は奇跡的でさえあり、いつまで続くのか疑問に思うほどです。
※2:『すべての些細な事柄』(96)で撮影した、フランスにある独特の治療法で知られる精神科クリニック
—おっしゃるような精神科医療の悪化は、映画の中では⾒受けられません。アダマンはこの分野への打撃を免れたということでしょうか?
アダマンが患者にとっても介護者にとっても⽣き⽣きとした魅⼒的な場所であり続けているのは、その名声に⽢んじることがないからです。常に外の世界と接し、起きていることすべてにオープンで、あらゆる貢献者を歓迎する場所です。私たちの撮影が、その顕著な例と⾔えるでしょう。
さらに、「制度精神療法」という、いささか野暮ったい名前の思想に従って、⾃主的に運営される場所なのです。つまり、⼈をケアするためには、そうしたいという思いを保つためには、制度がケアされなければならない。同じことの繰り返し、階級制、縦割り構造、退⾏、惰性、官僚主義など、制度を脅かすものとは徹底的に闘わなければならない、ということです。それに、空間、素材、⽴地、⽔の近さなど、アダマン⾃体がとても美しい場所だという理由が⼤きいです。同じような施設のほとんどは、不吉で冷たい感じがせず機能的でさえあれば⼗分だと思っていますからね。
—では、おっしゃるような状況を象徴しない場所を選んだのはなぜですか? ごく⼀部の精神科医療のイメージを与えてしまう危険性はなかったのでしょうか?
どんな精神科医療? 精神科医療に“⼀つ”の形はなく、複数であり、多数であり、常に改正が必要です。私が⾒せたかったのは、今もなお抵抗し、脅威にさらされている、⼈間的な精神科医療です。それは社会を破壊するものすべてに抵抗し、威厳を保とうとしています。本作は物事をあからさまに⾮難する映画ではありません。その逆を⾏くことで、暗黙のうちに⾮難しているのです。
ジャン=ルイ・コモリ(※3)が死の直前に書いたとおり、「映画の真の政治的側⾯とは、スクリーンと観客の間で、⼈の尊厳が他者から認められるようにすること」です。アダマンは象徴的ではない場所ですが、そういった場所は他にもあります。想像⼒を発揮するのもアダマンを運営するチームだけではないので、そこは美化してはなりません。私が最も重視するのはリプリゼンテーションではないのです。『すべての些細な事柄』を撮った時も、ラ・ボルドは当時の精神科医療を象徴するクリニックではありませんでしたし、現在もそうです。これらは実験的な場所であり、リスクを冒しているのです。
私たちはクリシェを脱却して、⾝体的拘束が解決策ではないことを観客に⽰し、精神障害者の品位を落とすようなイメージを変えていく必要があります。その基本は⼈間関係です。⼈と⼈との出会いを⽣むために、さまざまなツールを使い、誰も排除することなく、試⾏錯誤をすること。そこにはレシピも魔法の杖もありません。“⼈間的な” 精神科医療とは、⼿探りで、オーダーメイドの解決策を⾒つけること。患者を主体としてとらえ、⼀⼈⼀⼈の特異性を認識し、何があっても飼いならそうとしないことです。
※3:映画監督、作家、「カイエ・デュ・シネマ」元編集⻑
みんな違ってみんな良い。
パリ、セーヌ川に浮かぶ、奇跡のような船〈アダマン〉
パリの中⼼地、セーヌ川のきらめく⽔⾯に照らされた⽊造建築の船に、今朝もひとり、またひとりと橋を渡ってやってくる。ここ〈アダマン〉はユニークなデイケアセンター。精神疾患のある⼈々を迎え⼊れ、創造的な活動を通じて社会と再びつながりを持てるようサポートしている。この船では誰もが表情豊か。即興のコンサートでフレンチロックを熱唱!ワークショップでは、⾊とりどりの絵を描き、カフェでレジ打ちをしてお客さんのお気に⼊りのカップにコーヒーを淹れる。精神科医療の世界に押し寄せる “均⼀化”、“⾮⼈間化”の波に抵抗して、共感的なメンタルケアを貫くこの場所をニコラ監督は「奇跡」だと
いう。
<アダマン>の⽇々をそっと⾒つめる眼差しは、⼈々の語らう⾔葉や表情の奥に隠れされたその⼈そのものに触れていく。そして、深刻な⼼の問題やトラウマを抱えた⼈々にも、素晴らしい創造性があり、お互いの違いを認め共に⽣きることがもたらす豊かさを観るものに伝えてくれる。ベルリン国際映画祭最⾼賞に輝いた本作は、間違いなく最も「優しい」映画であり、この時代にもたらされた“希望”そのものである。
日時 | 2025年11月 |
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会場 | 埼玉会館 小ホール |
作品情報 | 監督:ニコラ・フィリベール 2022年/フランス・日本/フランス語/109分/アメリカンビスタ/カラー/原題:Sur L’Adamant/日本語字幕:原田りえ 共同製作・配給:ロングライド 協力:ユニフランス © TS Productions, France 3 Cinéma, Longride – 2022 |
主催 | 特定非営利活動法人埼玉映画ネットワーク |
共催 | 公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団(埼玉会館) |
料金 (税込) |
【全席自由】 |
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