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彩の国さいたま芸術劇場 |

音楽

【3月21日(水・祝)開催「マレイ・ペライア ピアノ・リサイタル」】 マレイ・ペライア インタビュー

2017年12月27日

詳しい公演情報はこちらからどうぞ!

 

Q:ペライアさん!今日はお忙しい中、電話インタビューに応じていただき、ありがとうございます。そして、来年の3月、日本に来てくださることとなり、とても嬉しく思います。

 

MP : 私もです。

 

Q:今回もたいへん内容の豊かなプログラムを組んでくださいました。このインタビューでは4人の作曲家 - バッハ、シューベルト、モーツァルト、そしてベートーヴェンについて、それぞれ二つの観点からコメントしていただきたいのですが。まず、楽曲の音楽的な特徴。そこをペライアさんにあらかじめ教えていただくと、私たちは3月のリサイタル鑑賞にそなえ、一歩すすんだ気持ちの準備ができるので。そして、ペライアさん独自の、それぞれの曲との接し方を教えていただきたいのです。他の演奏者のパフォーマンスを聴く時とは違う深みを、私たちは期待しています。

 

MP : はい、そうですね。できるだけみなさんにわかりやすくお話してみます。まず、曲の輪郭に関してですね。
今回最初に演奏するのはヨハン・ゼバスティアン・バッハの《フランス組曲》 BWV817 ホ長調 の第6番です。《フランス組曲》の最後の曲になります。組曲のうちでもこれが最後の作品だと、私は解釈しています。アンナ・マグダレーナ・バッハの音楽帳にはこの6番はたしか含まれていなかったかと・・・。いずれにせよ、一連の組曲作曲のあとに、書き足されたもので、とても明朗で楽しげな曲です。ただ、3曲目の〈サラバンド〉だけが、深く、重く、心に触れるような曲調ですね。全体は光にみちて愛らしさにあふれた連曲で、弾き手である私もいつも楽しみながら演奏します。

 

Q:つづいて、シューベルトの即興曲集ですが・・・

 

MP : シューベルトのこの即興曲集D 935(作品142)に関してシューマンがこのように言及しています。「私は3曲目は好きではない。が、他の曲をみた場合、ソナタとも呼べる構造になっている」と。また多くの人がこれと同じ指摘をしていますね・・・でも私の見解は多少違うんです・・・そもそもソナタではないのです。とくに1曲目は、皆が言うような「ソナタの発展形式」ではないと思います。けれども全体としてはとてもうまく進行します。4つの曲の表情はコントラストを描きだしており、1曲目は、現実から遠く離れた夢想のような、ゆっくりとした曲、2曲目は美しい歌。そしてシューマンが「好きではない。」と言った3曲目は、今日ではもっとも有名なパートで、しかも飛びぬけて美しいヴァリエーションをもっています。4曲目は、やや不思議な曲です、影のような、速いダンスのような曲で、どこかダークでミステリアスです。

シューベルトの次に弾くのは、モーツァルトの《ロンド イ短調》KV 511 ですけれど、これは深い深い曲。この曲については、過去何回も、弾くたびごとに、理解しようと努力を続けています。かなり判ってきたと思うのですが・・・これはモーツァルト晩年の作品です。すべての音符が他の音符との関わりをみせながら展開します。とても悲しい曲だと思うのですが、その表現は直接的ではありません。なにかを失った時の・・・とても愛していたものを失った時の心情ですが、そこにはむしろ、優しさ、いとおしみを感じます。主旋律、展開部を通して感じられるものは、そこだと思っています。

 

Q:そして最後にベートーヴェンを選んでくださいましたね。

 

MP : ピアノ・ソナタ第32番 ハ短調 作品111 ですが、このソナタは「別れ (=farewell)」の曲」です。彼は、これが最後の曲になると知っていたと思います。このソナタの後にも、彼は《バガテル》や《ディアベリ変奏曲》などのピアノ曲を書いてはいますが、「代表曲」と呼べるような仕事はそれ以前に終えて出版されていました。ですので、この第32番が最後のピアノ・ソナタ、つまり彼の最後の「意思の表明(=statement)」なのです。
曲の始まりはドラマティックです。暗い音がピークに至る瞬間には、こちらを震え上がらせるような響きを呈します。ところが2楽章ではそれは希望の光に変わります。ベートーヴェンは困難な状況を生き抜いた人です。そして彼はその命をまさに享受している・・・生きることを、神に感謝しているのです。この曲には彼のそんな魂が投影されています。彼の作品にはそういった深さをもつものがいくつかあり、このソナタもそれにあたります。

 

Q:まさにそこを伺いたかったのです。このピアノ・ソナタ第32番は、結果として最後のソナタになったのか、それともベートーヴェンは意図してこれを最後のピアノ・ソナタとしようとしていたのか。ペライアさんのお考えですと、つまり・・・

 

MP : 意図して最後の作品としたのです。私はそう信じます。ご存知かと思いますが、彼はこのとき、同時に3つのソナタを書いていました。この同時進行までは、おそらく偶然そうなったのだと思います。作品109、110、111ですね。彼が意図的に「これを最後にしよう。」と決めていたと証明する資料はありませんが、私はそう感じるのです。というか、おそらくは、それらの製作にかかる少し前から、もう、そう思っていたのではないか・・・自身の余命についても長くないことを予感したのではないか。そのような自分を鼓舞する様子が、楽譜のうちに感じ取れるのです。

 

Q:ある意味ではもう「満足」していたと思いますか? ソナタ作曲法に関する自分の仕事は、完遂された、と?

 

MP : ええ、そう思っていたと思います。

 

Q:一般の聴衆の立場からしますと、しかし、芸術というたいへん奥の深い道のりのうえで、それがある特定の分野に限ったことであったとしても、「完成」そして「満足」という感覚を得ること自体がとてつもない境地に感じられるのですが・・・

 

MP : ベートーヴェンの音楽そのものが、なにか、私たちの俗世より、ずっとずっと深い地点で展開しているもののように思うのです。命が提示するさまざまな疑問の、もっとも深いところを掘り下げようとしているような。また、生きている時代、時間にかかわるような。そうです、この曲はとても深く、音符が、布を織るときの糸のようですし、対話ならばそこで交わされる言葉のように、たったひとつもその流れからはみ出すことなく、関係しています。

 

Q:ベートーヴェンの生涯そのものについても、若い頃からお勉強されてきたのですか? 楽譜の分析だけではなく?

 

MP : 私がつねに興味を抱くのは、楽曲がどのようにして作曲されたのか、ということです。ベートーヴェンに限ったことではないのですよ。自分の探求は、ハーモニーをどう処理すべきか、音符がどのように進行し、まとまってゆくか、また緊張感はどのようにして生まれてくるか、などからはじまります。でも、そうやって分析してゆくうち、ベートーヴェンの場合、彼の人生がどんなものだったのかにも興味が湧き、また、彼が行った音楽研究そのものにも興味が膨らんでいきました。
ベートーヴェンは非常に幅広い勉強をした人です。彼はハイドン、アルブレヒツベルガーに就いていましたし、対位法に関して非常に高度な講義を受けていたのです。音楽家が学ばなければならないありとあらゆることを彼は勉強し、しかも、深く徹底的に身につけた。その点にもとても興味を覚えます。しかしながら、面白いのは、彼はむしろ社会的な意味で人生の達成感を得ていない・・・つまり、彼は一度も結婚しておらず、ご存知のように後半生は耳が聞こえず、周囲となじまずに孤立しているような人生だったわけですが、「音楽」では勝利をおさめた。彼の作った音楽は彼の人生の個人的・実際的な面とは対象的に、栄光に満たされています。

 

Q:ペライアさんにとって、この上なく興味をかき立てられる作曲家であるのですね。

 

MP : そうです。とても惹かれます。

 

Q:他の3人はいかがですか? バッハ、シューベルト、モーツァルトですが。もちろん、彼らを簡略な言葉だけで語り尽くせるものではありませんが、あえて「生き方」を描写するとしたら?

 

MP : やはりモーツァルトが、私にとっては「いつも、戻ってゆく場所」と言える作曲家ですね。彼の書く曲は、最初の音を弾いた瞬間に、それがどう、どこへ、巡ってゆくのかを想像させる。けれども音を出してみるまではまったくなにも想像できないようなところがあるのです。楽譜のページごと、段ごとに、目を通してみてはじめて、弾いてみてはじめて、「ああ、そうなっていたのか!」と発見させられる。このモーツァルトが作る「雰囲気(=mood)」に魅せられます。彼独特のデリカシーです。ここにも、いくつもの「意味」が隠れています・・・一見したところは、つきつめない、シンプルな感じに見えるのですけれどね。モーツァルト自身が用いた分析方法というのも、とても面白いものです。彼がイギリス人の作曲家、トーマス・アトウッドに言ったことは印象的です。多くの弟子を取って教えた作曲学、主に対位法の授業中に、モーツァルトは、音の一つ一つがどのように終結するかはいわずもがな非常に大切なことだという作曲の基礎を説明しつつ、自分の研究はまだ終わっていない、これからもずっとこの研究を続ける、と言ったそうです。
もうひとつモーツァルトに関して言えば、彼のオペラを見てみますと、そこには彼が器楽曲を書いたときに払ったのと同じ注力が働いていることがわかります。ピアノ曲を書くときにも、そこに、美しいオペラのように、人や暮らしを見渡す目線があるのですね。

 

Q:ペライアさんは、オペラもお好きなのですか?

 

MP : はい、とても好きです。

 

Q:観客としてご覧になるのがお好きなのですか?

 

MP : ええ、そうです。そもそも私が音楽に馴染むようになったのも、オペラ好きの父に手を引かれて、毎週土曜日に劇場に連れて行かれたことに端を発しています。オペラは私のインスピレーションです。

 

Q:お父様も音楽家だったのですか?

 

MP : いいえ、違います。でもとても音楽好きでした。母のほうはあまり一緒に出かけたがらなかったので、3〜4歳の頃、いつも、土曜日になると、父が私の手を引いて劇場に連れて行ってくれたのです。

 

Q:たとえば、どんなオペラがお好きですか?

 

MP : もちろん、いちばんよく見たのはイタリア・オペラの主要作品でした。ヴェルディ、プッチーニ作品はすべて見ましたよ。そのなかに、ときどき、モーツァルトのオペラもあって、「素敵だ!」と感じていました。思えばあの体験が音楽への最初の架け橋でしたね。

 

Q:予期せず、ペライアさんとオペラのお話をすることになりまして、驚いていますが。

 

MP : (笑う)

 

Q:しかし、オペラには当然、ヴォーカルのパートがあります。そんな「人の声」の素晴らしさを子供時代に体験したことが、後年のピアノ演奏に影響しているのでしょうか?

 

MP : もちろんです、確信があります。素晴らしい歌手の声を聞くと、スリリングな興奮を味わいますね。テノールの声を思い起こしてください、当時は、ジャン・ピアース(米、1904~1984)、リチャード・タッカー(米、1913~1975)をはじめ、ああ、全員の名前が思い出せません・・・私ももう70歳なので・・・66年前のことですから!(笑)。とにかく、素晴らしい歌手たちがいました。ソプラノにも素晴らしい歌手たちがいました、レナータ・テバルディ、マリア・カラス、そしてジョーン・サザーランドも聴きました。

 

Q:3月にペライアさんのリサイタルを聴きにくるファンのなかには、オペラ好きの方々もきっといますので、いまのお話はとても楽しい話題になりそうです。

 

MP : なによりです。ええと・・・シューベルトのお話がまだでしたね。シューベルトは、奇跡的な作曲家です。たった31歳で亡くなってしまいますが、その生涯になんと多くのゴージャスな作品を残してくれたことでしょう! ここでもやはり「人の声」のための、彼の歌曲集に心打たれますね。私は伴奏者として、ディートリヒ・フィッシャー¬¬=ディースカウ氏と《冬の旅》を、ペーター・ピアーズと《美しき水車小屋の娘》を、ご一緒したことがあります。他の方たちとも多く共演しました。シューベルトの歌曲の、その、美のボリュームには圧倒されます。彼の楽曲はじつは、さらりと耳で聞いたときに受ける印象ほど簡単ではありません。むしろとても複雑と言ってよく、だからこそインスピレーションの源となります。彼はピアノ・ソナタもかなり書いており、私はすでにそのうち6曲を演奏しています。

 

Q:これら作曲家のうち、シューベルト、そしてモーツァルトの二人は、若くして亡くなりました。ペライアさんは来年71歳になられますが・・・あえて「成熟した」お歳でいらしゃると言わせてくださいね。

 

MP : 嬉しいですね、そう言っていただけると。しかし、はっきり言いまして、歳をとりましたね(笑)。

 

Q:伺いたいのはむしろ、その視点なのです。我々みな、ある程度の年齢になって初めて、先人たちの、つまり、自分より長く生きた人たちのことが見えてくる。若い時はそれがどういうことか、まったく想像できないのです。作曲家や楽曲について、ペライアさんがいま、ご自分の年齢に助けられて、過去にはわからなかったことがわかるようになった、ということはありますか?

 

MP : 日々、そのような発見が起こっている、と言いましょう。すべての瞬間がそのような発見に満ちています。「どうして、前に弾いたときには、このことに気づかなかったんだろう!」と、毎日自分に言っていますよ。そしてその度に、新たな洞察(=insights)が得られるのです。なんと嬉しいことでしょう・・・それらを得て、私はまた、以前に弾いた曲にいま立ち戻ることができ、そして見渡し、変化を加え・・・実質的に、新たに手を加えられるアイディアが増えているんです。いま、歳をとり、この境地に至り、そしてまだ先に進んでいくための時間も与えられている・・・こんなに幸せなことはありません。

 

Q:ぜひ、具体的な演奏の例でその変化を教えていただきたいですが。

 

MP : その発見が具体的にどのようなものか、言葉で言うのは難しいのですが、技術的な意味では、ハーモニーに関することだったり、対位法的な規則性だったり、いろいろで、そしてその中には、若い時には思い浮かばなかった点も数々あります。また情緒的な目線も・・・それはそれで、やはり言葉にできませんが・・・あえて言えば、楽曲を一枚の絵画に例えたとき、私はそこに以前より大きなスケールの絵を見ている、と言っていいのかと・・・。構成しているさまざまなパーツに注ぐ目線は以前と同じでも、そのパーツが仕上げる全体像が、より大きなもののように感じます。ただ、若いころはさほど意識に上って来なかった「悲しみ」を、以前よりも、数多く、音の中に汲み取るようになった、とも思いますね。これはパフォーマンスにとって大切なことだと自覚しています。そして悲しみ以外の感情表現も、すべて、時とともに少しずつ違ったものになっていっていると思います。おそらくは日々を生きている私自身が、変化し、違う人間になっていっているのでしょう・・・完全に別人ではないですけれど、きっと、かなりの部分で。

 

Q:ご自身ではっきりと自覚されるほど、人間としての変化を感じておられる・・・それを、ぜひ、3月の演奏で私たちに見せてくださいね。楽しみにしております。

 

MP : ぜひ、そんな姿を理解していただけるよう、最良の演奏を試みます。

 

Q:最後の質問は、当時としてはおそらく長生きしたほうでありましょう、ヨハン・ゼバスティアン・バッハについてですが。彼のバイオグラフィーをご覧になり、「行間に」なにを読みますか?

 

MP : バッハに関しては情報がやや少ないですけれども、彼の書いた音楽から感じ取れることは、やはり強い宗教的な香りです。彼の音楽の基盤であり、彼の曲はみなその色に染まっていますね。たとえそれが宗教曲でなくても、やはり強い要素です。毎週毎週、教会のためにカンタータを書くことが仕事だったのですから、信心というものにすべての曲調が影響を受けていても不思議はない。悲しみの要素も見られます。「受難」のテーマはキリスト教のひとつの柱ですから。そしてもうひとつの宗教的要素、「救済」により喜びの園に至る、その幸福の概念です。すべての人々に与えられる未来への明るい希望です。バッハの音楽にも、こう考えますとやはり同様に深い感情の境地が、けれど宗教的な意味において、つねにあると思います。

 

Q:バッハの膨大な作品群を見渡すと、そもそもその総体をまとめて語るのは無理でしょうが、しかし、ときに、非常に重い、心に錘をつけられているような気分がする曲などもありますね。

 

MP : そうですね、そしてその対極に、これは「J.S.バッハの天賦の才」と言える特徴だと思いますが、究極の軽やかさも存在する。いまおっしゃったような「重さの表現」は、バッハ以前にもあったと思うのです。ですが、そこに対極的なバランスをもたらしたこと・・・美しく重厚な部分を消さずにね。これがバッハの業績ではないでしょうか。

 

Q:今回演奏してくださる《フランス組曲》は、まさにそちらの、軽やかさを楽しむべき作品ですね。

 

MP : そうです。そしてバッハの全体像にも思いを馳せてみてください。

 

Q:申し上げるのを忘れていましたが、まさにその《フランス組曲》のCDがグラミー賞にノミネートされたニュースが入っています。おめでとうございます。

 

MP : ありがとうございます。

 

Q:ますます精力的にお仕事をされていることが伝わりますが、2018年は1月早々にテル・アヴィヴでのコンサートですね。今後の大まかなスケジュールをぜひ教えてください。

 

MP : まだまだ、元気に演奏が続けられると思いますが、同時に勉強もしたいですね。ベートーヴェンのピアノ・ソナタ全楽譜の出版についても、ヘンレ版の校訂・編纂の仕事が続いています。原譜の手書き譜とスケッチを研究していますので、そちらにも時間を割きたいのです。でも過去にまだ演奏していない、新しい曲にも挑戦しますよ。演奏スケジュールを減らす、ということではなく、ペースは保っていきますが、腰を落ち着けて勉強する時間をすこし増やそうと思っています。

 

Q:そのつねに前進するエネルギーはどこから生まれるのでしょうか?

 

MP : わかりません。これまでもいつもこうしてきましたし、これが私の自然なありかたで、そもそもがエネルギッシュな人間なのだと思います。

 

Q:ペライアさん、今日は、いろいろなお話、ほんとうにありがとうございました。

 

MP : こちらこそどうもありがとう。再会を楽しみにしています。

 


2017年12月5日(火)高橋美佐(取材・通訳)
提供:株式会社ジャパン・アーツ