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【レポート】彩の国シェイクスピア講座「『アテネのタイモン』徹底勉強会」 第2回「『アテネのタイモン』の翻訳秘話」

2017年11月29日

 

 11月11日、彩の国シェイクスピア講座「『アテネのタイモン』徹底勉強会」第二回目が開催されました。今回は、講師に翻訳家の松岡和子先生、聞き手に河合祥一郎先生(東京大学教授)を迎え、「『アテネのタイモン』の翻訳秘話」と題し、本作の翻訳でのお話を伺いました。

 

【講座概要】
Q『アテネのタイモン』の翻訳にあたって、一番苦労したことは?

 

松岡先生:まずシェイクスピア作品をここまで訳してきてつくづく思うのは、シェイクスピアが作品ごとにそれまでと違うことにチャレンジしているということです。そこには、当時の演劇状況に自分を合わせようとする野心など様々な動機があるのでしょう。ですから翻訳者としても、今までやってきたから、次の作品は楽にできるかと思いきや、必ず新しい障害にぶつかるのです。本作に関しては、冒頭のシーンから困ってしまいました。他のシェイクスピア作品の冒頭はどうなっているか見てみると、『ハムレット』の場合は、「Who’s there?(誰だ?)」という観客にとっても、ハッとする強い疑問文から始まります。また『ロミオとジュリエット』の場合はモンタギュー家とキャピュレット家の喧嘩のシーンから芝居は始まりますが、幕が上がる前に「これからこういうお話が始まります。」という口上があります。また特徴的なのは『リチャード三世』です。主人公がいきなり出てきて、「Now is the winter of our discontent(さぁ、俺たちの不満の冬は終わった。)」と一番有名ともいえる台詞を語ります。とても衝撃的な幕開きです。『アテネのタイモン』の場合は、そのどれにも当てはまりません。
河合先生:『アテネのタイモン』は、「やあ、こんにちは。お元気で何よりです。」と、何気ない日常会話から始まります。これは、うわべだけの人間関係で構成されている現実の社会を表しているんでしょうね。
松岡先生:そうです。この戯曲の場合は本当に表面的で儀礼的なので、いちいちつまずいてしまいました。次の場面へ行くまででいきなり苦労しました。難しいとか素晴らしい名台詞でこっちも「どうやってやろうか」と腕が鳴るというわけではなく、「なんだよ、こんな表面的なことばっかり喋って!」と言う気持ちになりました。

 

 


Qエリザベス朝作品の翻訳で大変なことは?

 

松岡先生:シェイクスピアの作品は、元となるネタ本があります。本作の場合は、プルタルコス著『英雄伝』の「マルクス・アント=ウス(マーク・アントニー)」の章と、『タイモン』という喜劇です。ですから当時の文学愛好家や観客にとって、タイモンと言えば喜劇の主人公と言う認識でした。それを悲劇に変えたのはシェイクスピアなんです。
河合先生:いまならパクリと言われますが、エリザベス朝の頃は著作権がなかったので、当時の劇作家の中では常識でした。『ロミオとジュリエット』も、物語だったものをシェイクスピアが劇化しました。シェイクスピアのいいところは、元々あったみんなが知っている作品をもっと面白くしたということなんです。
松岡先生:全部オリジナルだと、人物紹介や時代背景などの全てを台詞のやり取りの中で観客に伝える必要がありますが、エリザベス朝演劇の場合は観客に予備知識があるため、それらを省略しても伝わります。だから書きたいところから、書けるんです。
河合先生:それは劇作家には有利なんだけど、翻訳家にはとても不利ですよね。当時の観客が知っていることを、予備知識のない日本人に日本語で分からせなくちゃいけないということは、とても苦労すると思うんです。

 

 


Qシェイクスピア作品の翻訳で苦労することは?
 

河合先生:原文を読み返すときに、版によって幕場割が変わっています。例えば松岡先生が翻訳にお使いになった版だと第3幕第5場になっているところが第3幕第4場で、第3幕第6場が第3幕第5場になっている版があります。その場面を新たな場面とするのか、前の場面とくっつけるかによって、幕場割の数が変わってくるわけですね。またこういう問題が起こらない場合でも、行数表示が変わってくるときがあります。(1人の台詞に)韻文と散文が両方使われている場合、韻文はどの版でも1行は1行ですが、散文は小さい本だと大きなサイズの本より行数が増えてしまいます。韻文でもどこからハーフライン(1つの台詞を2人の役者が分けて言う台詞)とするのかで、編者の解釈が違っているんです。なので、ケンブリッジ版を使うのかアーデン版を使うのかオックスフォード版を使うのかで、幕場割も行数表示も違います。原文を一つ手に入れればいいというわけではなくて、いろんな版を見比べながら翻訳しているのは、松岡さんも私も同じですね。
松岡先生:だから老眼と乱視が進みます。活字の大きさも本によって違うし、私はパソコンを使って訳すので、モニターを見てこっちを見てあっちも見て辞書も見てだから目が大変です。

 

 

 

Q登場人物の読み方について(ALCIBIADES(アテネの武将)の読み方について)
 

松岡先生:ギリシャ読みにするか英語読みにするかは翻訳者が決めます。翻訳者の主観で、どの読み方が一般的だろう、日本の観客にすっとはいるだろうと考えて、決めます。毎回悩むところです。
河合先生:例えば、キューピッドだと聞き慣れているけど、ギリシャ読みだとクピードーと読みます。いきなりクピードーと言われても日本人はわかりませんよね。
松岡先生:アルシバイアディーズ(英語読み)かアルキビアデス(ギリシャ読み)も迷いました。でもこの人のことをそもそも知ってる人はいないと思い、アルシバイアディーズを選びました。

 

 


Q台本を翻訳するときに注意していることは?

 

松岡先生:耳で聞いて、わかりやすいかどうかを考えます。例えば、「〜させ“る“のか」と「〜させ”ぬ”のか」は黙読だと違いは分かりますが、声に出すとわかりづらくなります。また、ある場面で「屈し」という言葉を使っていましたが、それだと「屈服させる」など、力づくで押さえ込むというイメージがあるから、違う言葉がいい」と言われ、「ひれ伏し」に変えました。現場でこのように率直に言って頂けると、芝居もよくなるから有り難いです。
河合先生:翻訳がレベルアップしますよね。きっとシェイクスピアも同じだったんではないかと思います。『アテネのタイモン』は1623年のファースト・フォリオ(シェイクスピア全集初版)しかテキストがありませんが、それ以外の作品には複数テキストがあるものがあります。例えば、『オセロー』はシェイクスピアの生前に発行されたクォート版とフォリオ版の2つあります。書き上げた台本を反映したものがフォリオ版で、そこから削った物がクォート版ではないかと言われています。シェイクスピアも1度書いてから、稽古でブラッシュアップさせていったのではないでしょうか。
松岡先生:『アテネのタイモン』がシェイクスピアの劇団では一回も上演されなかったと言われている理由の1つに、相反することが書かれたタイモンの二つの墓碑銘があります(最終場の第5幕第4場)。一方には「我が名を問うことなかれ」と書いてあり、もう一方には「我タイモン、ここに眠る」と書いてある。シェイクスピアはネタ本のプルタルコス著『英雄伝』から二つとも書き写し、どちらにするかは上演するときに決めるつもりだったのに、上演しなかったので二つともの残ったんじゃないか、というわけです。

 

 

 講座は、お二人の親密な雰囲気の中、終始和やかなムードで行われました。最後には松岡先生から「自信を持って言えます。舞台は面白くなっています。ぜひ期待してお待ちください。」と心強い言葉で締めくくられました。

 


 

プロフィール
松岡和子(まつおか・かずこ)
彩の国さいたま芸術劇場シェイクスピア企画委員会委員。翻訳家、演劇評論家。彩の国シェイクスピア・シリーズの翻訳を数々手掛ける。ちくま文庫から『シェイクスピア全集』を刊行している。主著に『深読みシェイクスピア』(新潮文庫)などがある。

 

河合祥一郎(かわい・しょういちろう)
彩の国さいたま芸術劇場シェイクスピア企画委員会委員長。東京大学教授。角川文庫からシェイクスピア戯曲の新訳を刊行するほか著書多数。主著に『ハムレットは太っていた!』(サントリー学芸賞受賞)など。蜷川幸雄演出『ヘンリー四世』『ヘンリー六世』の構成も手掛けた。

 


 

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