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彩の国さいたま芸術劇場 |

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【SPECIAL INTERVIEW】ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団 〜ナザレット・パナデロ、ジュリー・シャナハン〜

2014年2月18日

ダンサーが語る『コンタクトホーフ』

ヴッパタール舞踊団在籍35年と25年。スペイン出身のナザレット・パナデロとオーストラリア出身のジュリー・シャナハンは、ピナ・バウシュのほとんどの作品で重要な役割を果たしてきた。中でも『コンタクトホーフ』ではピンクの薄衣のドレスをまとって、蝶々のように軽やかに舞い、他の男女たちをつなぐ姿が印象的だ。


— ナザレット・パナデロ(写真左)
 元々「ピンクの少女」は、『春の祭典』の生け贄など主要な役を踊ってきたジョゼフィン・アン・エンディコットと、振付家に転身したメリル・タンカードが当時演じていて、私はとても魅了されていたの。作品自体は、いくつかのシーンはとても衝撃的で、ダンサーたちの強烈な個性と、舞台で真実を生きるその能力に尊敬を覚えていたのよ。ただ自分がこの作品に出ることになってすぐ、なんて言うのか、作品の中に私が投げ入れられたところを、周りのダンサーたちが運んで行ってくれているような気がしたわ。あの空間に集まった男女は、そう、あなたや私のような人たち。感情を持っていて、さまざまな可能性を持ち、強さと弱さを併せ持っている。夢や欲望があり、同時に失うこともある。こうした人たちが出会い、一つの宇宙を創るの。失敗したり、失ったりした関係も含め、さまざまな関係性によって紡がれた網なのよ。
 2人の「ピンクの少女」は大親友で、全く違った性格だけどとても気の合う、助け合う存在。無垢で純真、でも時には残酷でもある。おそらく人は残酷であるためには無邪気でもあることが必要だっていうことでしょうね。自分は可愛いと思っていて、可愛らしさや純粋さを演じている。彼女たちは「甘さ」と「酸っぱさ」が入り交じった存在なのよ。2人は大胆で、共謀者が隣にいることでもたらされる大胆さを謳歌している。時が経ち、2人は離ればなれになり、2人は非常に異なる深い感情を見せるけど、異なる人生がそうさせるのよ。
 そうそう、『コンタクトホーフ』のリハーサルでは、ピナは時々“ポーカーフェイス”という表現を使っていた。その真意は、相手にカード(手の内)を見せない。相手に感情を読み取らせない。心の中で起きていることを顔に語らせない、ということ。この言葉は『コンタクトホーフ』についてよく表している。この作品では、ある特徴的なフォーマルでエレガントな世界を生きているけど、時折その見せかけが崩壊する瞬間にだけ、真実の感情が吹き出してくるのよ。

— ジュリー・シャナハン(写真右)
 舞踊団に入った時、最初に『コンタクトホーフ』を踊ることになったの。昔の舞台のビデオを観て勉強したのだけど、ピナは役柄をつかむのに私の直感を大切にしてくれたので、すぐに自分のものにすることができたわ。他の人が演じていた役柄を引き継ぐときは、コピーをしないこと、そして自分にとって真実であることがとても大切よ。
 ピナの作品はどれも、私たちだれもが自分に重ねることができるような状況、境遇、状態について語っていて、『コンタクトホーフ』も例外ではない。『コンタクトホーフ』には非常に強烈な視覚的なかたちがあって、私たちダンサーはフォーマルな服装をしているし、互いの関係も、また観客との関係もフォーマルな形で作品は始まる。でも徐々に観客は、このフォーマルな外見の裏側にあるものに気づいていく。愛を求める人々、彼らの恐れ、傷つきやすさ、不安を隠すために時折人はいかに他人に酷いことをするか。その一方で、人はまた時々チャーミングでもあり、男女はケンカもするけどイチャイチャもするし、寂しさも感じる。私たちは若い頃に体験した初めての愛を語り、受け入れられたい、愛されたいという渇望がいつもそこにあるの。
 ピナはいつも我々ダンサーが、自分自身の経験から答えを導き出すことを望んでいた。そしてあたかも初めてその作品を演じるかのように、一瞬一瞬、新しい時間を生きることを望んでいた。厳格な構造に従いながら、他方では心はフレッシュで生き生きとしていること。しっかりとしたストラクチャーがあるからこそ、ピナはこの『コンタクトホーフ』を、ティーンエイジャー版、お年寄り版として託すことができたのだと私は思うわ。


取材・文:佐藤友紀(ジャーナリスト)
 



3月20日(木)〜23日(日) ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団『KONTAKTHOF—コンタクトホーフ』
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