Vol.111
2024年10月号
彩の国さいたま芸術劇場 |
……ではない、「静かな」ダンス?
内野 儀
ドイツ・ベルリンに1年間滞在する機会があり、それなりの数、ダンスのジャンルに属する上演を観た。そこでわたしは、西欧のコンテンポラリーダンスの大きな傾向として、ふたつにわかれるように感じた。ひとつは、脱植民地化/アイデンティティ・ポリティクス系。さまざまな意味での当事者性と身体自体のみならず、その表象の歴史性・政治性を問う身ぶり/ダンスの上演である。他方、コンテンポラリーダンスの制度的枠組みに、あらゆるダンス・フォーム(芸術のジャンルとみなされていないストリート・ダンスまで)を取り込み、いわば「踊り狂う」ことで劇場を熱狂に包ませる加速主義系(ナンデモアリ)ダンス。さらに、この両極の連続体の外に「他なるもの」なる感覚、つまり、二極のメインストリームから明らかに距離を取ることを自身のダンスの理念とするアーティストたちがいる。
ところが、わたしがベルリンで観る機会があり、今回日本で上演されるラシッド・ウランダンの『Corps extrêmes─身体の極限で』は、そのどれとも関係のない作品だった。そもそも、そのタイトルとは裏腹にまったく「極限」ではない。もちろん、映像と語りと上演を通じてハイライナーの世界最高記録保持者ナタン・ポランやクライマーのニーナ・カプリッツなどの「極限」の活動と思考を知ることになるし、実際に舞台上でも「極限」の技に触れる機会も与えられる。舞台背後には、パリ・オリンピックで見た人も多いだろうスポーツクライミングの壁があり、8名のアクロバットによる壁を使った「極限」のパフォーマンスもある。壁の前の空間で、アクロバットの身体が宙空を翔び、受け取られ、高く組み上がったり崩れたりもする。
だが、である。この上演は基本、とても〈静か〉なのだ。芸や技のすごさを声高に誇ったり、観客がさまざまな「極限」に息を呑むことをこれみよがしに期待したり、しないのだ。なにもかも、ただただ淡々と、〈静か〉に進行する。互いのあいだの絶対的な信頼とケアする心を感じさせながら。
さまざまな、実にさまざまなからだが、〈静か〉に眼前で動く。からだのことを考え抜き、それを動かそうとする人たちが、ただ動いている。それだけなのだ。ダンスと呼んでも呼ばなくてもよい。スポーツとの境界を越えようが越えまいがどちらでもよい。これがわたしたちのからだの「作品」だと、本作は〈静か〉に、どこまでも〈静か〉にわたしたちに伝える。
内野 儀 Tadashi UCHINO
東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了(米文学)。博士(学術)。岡山大学講師、明治大学助教授、東京大学教授を経て、2017年4月より学習院女子大学教授。専門は表象文化論(日米現代演劇)。著書に『メロドラマの逆襲』、『メロドラマからパフォーマンスへ』、『Crucible Bodies』、『「J演劇」の場所』。公益財団法人セゾン文化財団評議員、公益財団法人神奈川芸術文化財団理事、福岡アジア文化賞選考委員(芸術・文化賞)、ZUNI Icosahedron Artistic Advisory Committee委員(香港)。「TDR」誌(米国)編集協力委員。
ラシッド・ウランダン『Corps extrêmes―身体の極限で』
2024年10月26日(土)19:00開演
10月27日(日)15:00開演
会場:彩の国さいたま芸術劇場 大ホール
公演特設ページ:https://www.saf.or.jp/arthall/information/detail/101696/
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