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 故・蜷川幸雄彩の国さいたま芸術劇場芸術監督が2006年に創設した、55歳以上の劇団員からなる演劇集団。この集団は、2005年11月、芸術監督に内定した蜷川が、就任後第一に取り組むべき事業として「年齢を重ねた人々が、その個人史をベースに、身体表現という方法によって新しい自分に出会う場を提供する」ための集団作りを提案したことに始まります。

 他に類を見ない演劇集団としての強烈な個性と一人一人の豊かな人生経験がにじみ出るリアルな演技で演劇界に新風を吹き込むだけでなく、日本の高齢社会の有り様に問いかけるモデル・ケースとして、さいたまゴールド・シアターは結成当時から大きな注目を集めてきました。

 2007年の第1回公演『船上のピクニック』(作:岩松了)以降、気鋭の現代劇作家による書き下ろし作品を中心に公演を重ね、2013年には『鴉よ、おれたちは弾丸をこめる』(作:清水邦夫)で初の海外公演に成功。彩の国さいたま芸術劇場を拠点として国内はもとよりパリや香港など海外にも活躍の場を広げました。

 2020年以降は、平均年齢80歳を超えるメンバーの高齢化とコロナ禍で集団としての活動継続が困難となり、2021年12月に最終公演『水の駅』を上演し、15年の活動に幕を下ろしました。



12月に気鋭の演出家・杉原邦生を迎えて、転形劇場を率いた太田省吾の代表作の一つである沈黙劇『水の駅』を最終公演として上演。一切のセリフを排し、極端にゆっくりとした身体の動きのみで表現する沈黙劇は、平均年齢80歳を超える団員にとって大きな負荷となったが、一人一人の積み重ねた人生経験が表情やしぐさからにじみ出て、説得力あるドラマを立ち上げた。観客、評論家から高い評価を得られ、高齢者の身体表現の豊かさ、強さを証明する舞台となった。本公演をもってさいたまゴールド・シアターは15年にわたる活動を終了した。

※2月に予定していた第8回公演『聖地2030』(脚本・演出:松井周)は新型コロナウイルス感染症の影響により公演中止。


 10月にさいたまネクスト・シアターとの共演により、『蜷の綿-Nina’s Cotton-』リーディング公演を行った。
 2016年2月、マームとジプシーの藤田貴大が蜷川幸雄の半生をモチーフに書き下ろした『蜷の綿-Nina’s Cotton-』は、演出を務めるはずだった蜷川の体調不良により公演延期となった。未発表となっていた本作を彩の国さいたま芸術劇場開館25周年を記念し、蜷川のアシスタントを長年務めた井上尊晶の演出によりリーディング公演として上演。蜷川が生まれ育った川口での少年時代、劇団青俳での俳優時代、演出家として現代人劇場、櫻社を率いたアングラ時代、商業演劇への進出、ロンドンでの称賛、そして老い──。日本はもとより世界の演劇史にその名を残す「演出家・蜷川幸雄」が最期まで絶やすことのなかった演劇への情熱が大ホールの舞台に立ち上がった。


 5月に番外公演として『ワレワレのモロモロ ゴールド・シアター2018春』をNINAGAWA STUDIO(大稽古場)にて上演。劇団ハイバイを率いる岩井秀人を構成・演出に迎え、ゴールド・シアターのメンバーが自身に起きた出来事を台本化し自ら演じる「ワレワレのモロモロ」に挑戦した。戦時中の過酷な体験から冷蔵庫の買い替えといった日常的な出来事まで6つのエピソードを披露。自ら台本を書き、演じることで彼らの人生の1ページが生々しく立ち上がり、悲喜こもごもが切実に伝わる舞台となった。10月には同作で5年ぶりとなる神奈川公演も行った。
 9月は高齢者の国際舞台芸術祭「世界ゴールド祭2018」に参加。さいたまゴールド・シアター×菅原直樹 徘徊演劇『よみちにひはくれない』浦和バージョン、さいたまゴールド・シアター×デービッド・スレイター『BED』の2つの野外パフォーマンスを発表した。


 1月にNINAGAWA STUDIO(大稽古場)にて『Pro・cess2017』を上演。2006年夏、劇団発足から3か月で行われた中間発表公演の最終リハーサルで取りやめとなり、未完となっていたチェーホフの『三人姉妹』第一幕を井上尊晶演出のもと再稽古し、さいたまゴールド・シアターの現在を見せた。
 4月にはさいたまネクスト・シアターとの共演作『鴉よ、おれたちは弾丸をこめる』を大ホールにて再演。2013年に初の海外公演を行い、翌2014年には香港、パリと国内3都市を巡るツアーを行った劇団の代表作とも言える本作を、蜷川幸雄一周忌追悼公演として上演した。
 9月には2011年『ルート99』以来の新作となる『薄い桃色のかたまり』を上演。生前の蜷川幸雄と「次回作のテーマは福島で」と約束していた岩松了が書き下ろし、演出も務めた。結成12年目を迎え、厳しさを増す体力・記憶力の衰えと闘いながら新たな演出家との創作に挑み、自然と復興の営み、被災地と東京の温度差、切ない恋と人々の思いが複層的に交錯するドラマをインサイド・シアターに立ち上げた。ゲストの岡田正とネクスト・シアターも好演し、絶妙なアンサンブルを見せた。岩松了は本作で第21回鶴屋南北戯曲賞を受賞した。


 2月にさいたまネクスト・シアター×さいたまゴールド・シアター公演として『リチャード二世』を再演。同作品で第3回ハヤカワ「悲劇喜劇」賞を受賞。4月には「クライオーヴァ国際シェイクスピア・フェスティバル」に招聘され、ルーマニア・クライオーヴァでも公演を行った。蜷川幸雄の美しく鮮烈な視覚的イメージとゴールド・シアター、ネクスト・シアター両劇団の演技が融合した本作は、現地の観客から熱狂的なスタンディングオベーションを浴び、フェスティバルのオープニングを飾った。
 12月には、埼玉から発信する世界最大級の大群集劇「1万人のゴールド・シアター2016」に出演。演出を務める予定だった蜷川幸雄が5月に逝去し、その遺志を継いだノゾエ征爾がシェイクスピアの『ロミオとジュリエット』を下敷きに書き下ろした創作劇に「本家ゴールド・シアター」として登場。公募で集まった約1,600人の60歳以上の出演者の中でも、独自の存在感を示した。


 4月に彩の国シェイクスピア・シリーズ第30弾×さいたまネクスト・シアター第6回公演として上演された『リチャード二世』に32名が出演。礼服姿で車椅子に乗って登場し、さいたまネクスト・シアターの若者たちとタンゴを踊る幕開きは強烈なイメージを残した。彩の国さいたま芸術劇場の両輪を担う2つの集団が、世代の壁を越えて総力戦で挑み、シェイクスピア・シリーズに新たなダイナミズムを加えた。


 2012年から3ヵ年に亘って取り組んできた瀬山亜津咲との共同作業の集大成として、8月に劇団として初の本格的なダンス作品『KOMA'』を上演した。“タンツテアター”の手法を取り入れた創作過程ではゴールド一人一人の個性が引き出され、年齢を重ねた者ならではの身体表現で構成された舞台は、観客に老いることについての希望を抱かせるものとなった。
 11月から12月にかけては『鴉よ、おれたちは弾丸をこめる』を再演し、3ヵ国5都市を巡るツアー公演を行った。11月には、2年以上に亘りオファーを受けていた香港での公演が実現。2年に1度開催される「新視野藝術節 New Vision Arts Festival 2014」へ参加。帰国後は2009年以来2度目となる「フェスティバル/トーキョー14」へも参加。続く12月には、パリを代表する名門パリ市立劇場からの招請を受け、2年連続2度目のパリ公演、帰国後は愛知県豊橋市の穂の国とよはし芸術劇場PLAT、埼玉県川越市の川越市市民会館での凱旋公演を行った。全5会場で8,000人以上の観客を動員。国内では「フェスティバル/トーキョー14」で追加公演を行うなど好評を博し、さらに海外2会場でも熱いスタンディングオベーションで受け入れられた。


 第6回公演にして劇団として初の海外公演と国内ツアー公演が実現。演目は2006年に中間発表公演“Pro-cess2”で発表した清水邦夫作『鴉よ、おれたちは弾丸をこめる』。今回は若手俳優集団さいたまネクスト・シアターも出演し、新演出による上演となった。
 5月に彩の国さいたま芸術劇場大稽古場で開幕後、フランスのパリ日本文化会館からの招請を受け、5月30日から6月1日まで3日間4公演を同会館で実施した。ゴールドならではのエネルギーに満ちた舞台は現地の観客、評論家から激賞を受け、その模様は日本でも新聞等で大きく報じられた。帰国後は同作品でKAAT神奈川芸術劇場、熊谷市の大里生涯学習センターあすねっとの2か所でツアー公演を行い、満員の観客に迎えられた凱旋公演となった。
 また、8月に「ザ・ファクトリー」の第3弾として瀬山亜津咲演出・振付による「ワーク・イン・プログレス(=創作段階の作品を試験的に上演する)」形式の公演を行った。昨夏のワークショップを踏まえ、演劇とダンスを融合させた、ピナ・バウシュの“タンツテアター”の手法を取り入れた作品づくりは、ゴールドにとってこれまでにない創作体験となったが、公演では個々の内面が反映された新たな身体表現を見せ、観客を驚かせた。


 2月から蜷川幸雄の演出補を務める井上尊晶の指導により稽古を開始。エチュード(習作)の課題として男性団員にはチェーホフの『白鳥の歌』、女性団員には清水邦夫の『楽屋』が与えられ、約5ヶ月の稽古を経て内部向けの発表会を開催したところ、蜷川が「面白かった。老いが演技に反映されるいい戯曲。ここで終わらせるのはもったいない。」と絶賛。さらに練り上げて一般に披露することになった。
 10月、既存のホールにとらわれず、自由な発想で劇場の中に新しい表現の場を見いだし、作品を発表する新シリーズ「ザ・ファクトリー」の第1弾として上演した。両作品とも本来は少数の俳優で演じられるが、井上の演出では、複数の俳優が一つの登場人物を演じることで、役の中にまったく異なる人物像が浮かび上がる。俳優それぞれの個人史が役に反映され、また、役を通して俳優それぞれの人生が垣間見える。ゴールドならではの表現に観客は感動を新たにした。
 また、7月には、ピナ・バウシュ ヴッパタール舞踊団の日本人ダンサー瀬山亜津咲を講師に迎え、ダンスのワークショップが開催された。男性には「男らしさ」、女性には「絶望から希望へ」というテーマが与えられ、全員が自ら動きを考えて構成し、瀬山の振付・構成による男女混合のダンスでは、指先まで神経を行き届かせた優雅な姿を披露した。「皆さんの内側にあるものを動きにしたものをダンスだと思っている」という瀬山の言葉どおり、ダンスという表現手段への新たな挑戦でありながら、その身体から滲み出る彼らの魅力を、また角度を変えて見ることのできる貴重なワークショップとなった。


 第1回公演で『船上のピクニック』を書き下ろした岩松了が、再びゴールド・シアターのために書き下ろした新作『ルート99』を12月に第5回公演として上演。基地問題に揺れる架空の島を舞台に、地元住民、基地内で働く人々、そして外部から来た劇団など複雑に人間関係が交差する本作。岩松戯曲ならではの美しいセリフ、ダンスや歌、さらには作品を締めくくる劇中劇まで、団員それぞれの個性が最大限に発揮される舞台となった。


 9月に第4回公演『聖地』を上演。本作は活躍めざましい気鋭の劇作家・松井周による書き下ろし。30代の松井が用意した劇設定は、安楽死法が施行され、老人が自ら死を選ぶことができるという近未来。死と向き合う高齢者たちの有り様をシニカルに描き出す群像劇で、ゴールド・シアターならではの実人生に裏打ちされた迫真の演技を魅せた。


 3月、世界のトップアーティストとともに、国際演劇祭「フェスティバル/トーキョー09春」に招聘され、『95kgと97kgのあいだ』を再演。6月には、ケラリーノ・サンドロヴィッチの書き下ろしによる第3回公演『アンドゥ家の一夜』を上演。台本の完成が遅れたこともあり、蜷川は、台詞の覚えられない劇団員の“老い”そのものを演劇として受け止め、本番に自らプロンプターとして参加。団員たちは、KERA独特のユーモアたっぷりに描かれた、“老い”てもなお悟りとはほど遠く、欲にまみれながら現実と奮闘する人々を演じきった。


 3月、第3回中間発表公演“Pro-cess3”『想い出の日本一萬年』(作:清水邦夫)、5月、第2回公演『95kgと97kgのあいだ』(作:清水邦夫)を上演。『95kgと97kgのあいだ』では、横田栄司、NINAGAWA STUDIOらを客演に迎え、総勢70名を超える異なる世代の俳優がたちが埋め尽くす迫力の演技が観客を魅了した。


 6月、1年間の成果発表としての第1回公演として、岩松 了書き下ろしによる『船上のピクニック』を上演。実人生が反映された独特のリアリティを群像劇の中に表現し、1年で俳優としての技術と存在感を身につけた団員たちの成果は高く評価された。


 2月、団員募集開始。07年から続々と定年を迎える団塊の世代の動向が社会的な注目を浴び始めた時勢を背景に、このニュースは広くマスコミで報じられ、当初20人の募集枠に1200名を超す応募があった。反響は日本全国にとどまらず、アメリカ・カナダなど海外からも届いた。当初、2日間の予定だったオーディションは、蜷川の「全員の選考に立ち会いたい」という希望により2週間に延長。応募条件を満たす全員を蜷川の目を通して選考することとなった。そして、4月21日、55歳から最高齢80歳までの48名が所属する「さいたまゴールド・シアター」が正式発足した。
 レッスンは週5日、演出・ダンス・日本舞踊・基本的な発声・ムーヴメントに加え、時代考証などの座学、そして殺陣といった特別レッスンが行われ、蜷川を筆頭に演劇の第一線で活躍する講師陣より受講。06年7月に中間発表公演『Pro-cess~途上~』、12月に第2回中間発表公演“Pro-cess2”『鴉よ、おれたちは弾丸をこめる』(作:清水邦夫)を行った。


財団法人埼玉県芸術文化振興財団