60年代はじめ、演劇界に一つの傑作が生まれた。それが『真田風雲録』。真田幸村と真田十勇士の活躍と挫折を描いた歌入りの娯楽劇。それまでの「新劇」の概念を打ち破る画期的な作品は、その後の演劇に計り知れない影響を与えている。ロックやブルースもある多彩な音楽と、風刺の効いたユーモアは、今もなお色あせることなく輝いている。

最初は30分のラジオドラマ、テレビドラマになって45分、 舞台化に当たって3時間、
『真田風雲録』は、段階を経て成長した。
大阪労演からの提案で俳優座系スタジオ劇団(青年座・三期会ほか)の合同公演として千田是也さんの演出で、という企画でした。3時間にするのは大変でしたけれどね。でも、これはきっとボツになるだろうと覚悟していましたから、くっくっ自分で笑いながら書いてました。新劇界全体としては真面目ですから、無理だろうと思っていたわけです。ところが、千田さんは即座にOKをくれた。千田さんの感覚としては「60年安保の後、反動のように頭の硬いものがしゃしゃり出ているから、こういうデタラメな芝居があってもいい」と思ったのではないでしょうか。「真面目な」新劇に異を唱えるなどということではなく、好きなように書いただけですけれど、その前に書いた『遠くまで行くんだ』が、真面目筋からは攻撃されてましたから、ちょっと居直ってはいましたね(笑)。
千田さんは、音楽は任せるということだったので、林光さんと僕で、いろいろな仕立ては勝手にやりました。全部で11曲ありますが、当時としては珍しいでしょうね。そのころは、ミュージカルと付けると客が入らないと言われていて、他でも「音楽劇」と言っていましたが。

古典的なドラマトゥルギーにとらわれない作劇は、
新鮮な驚きで迎えられた。
この手の芝居がすぐに広まったわけではないんですよ。10年くらい逆に冷え込んだ。ミュージカルという言葉についても、僕が演出した『にんじん』は最初「音楽劇」と言っていました。だから、固定観念のようなものは、1作くらいでは変わらないものなんです。でも、かえって気楽な時代でしたよ。望月六郎(真田十勇士の一人)がギターを持って出てくるだけで、観客は爆笑するわけ。もう、絵として不思議なわけですよ。何かというと爆笑でしたから、役者としては楽だったんじゃないかな。

“ンワッ、ンワッ、ズンパパ”と掛け声が入る
新鮮な驚きで迎えられた。
“ズンパパ”は僕が勝手に作った言葉で。そういうのが好きだったんですよね。今の時代にはどうなんだろうとも思いますけどね。なんだか古証文ばかり並んでいると思われないようにしてほしいですね。でも、青春劇的な部分もありますから、青春は別に時代に関係なく、変わらないものですから、(戯曲が)もたないとは思っていません。また、時代がぐるりと回って、過去のものが今、新しいと感じる、そういうサイクルもあるかなと思います。
蜷川さんにお任せするので、特に注文はあるはずもないのですが、カットしてほしいんですね。必要なら、僕がやりますよ。初演当時も、やってみて、すぐにカットしたシーンもあるのです。全部やっているわけではない。最近、リーディングの形でやった時は1時間半でした。それくらいでもできるのです。ただ、情熱の人だからね、蜷川さんは、全部やると言うかもしれない(笑)。もともとが何でもありの作品ですから、自由にやってもらって、いい舞台になれば嬉しいですね。

(「埼玉アーツシアター通信」22号より転載)

福田善之プロフィール
ふくだ よしゆき
劇作家・演出家。東大仏文卒。新聞記者を経て、劇作家木下順二・演出家岡倉士朗に師事、1957年『長い墓標の列』発表。60年、観世栄夫と劇団青芸に参加。『遠くまで行くんだ』『オッペケペ』『袴垂れはどこだ』などで、60年代演劇の旗手として注目される。93年、『壁の中の妖精』で紀伊國屋演劇賞受賞、94年『私の下町−母の写真』が第46回読売文学賞・文化庁芸術祭演劇部門大賞。2001年紫綬褒章。06年シナリオ功労賞ほか。シェイクスピア作品や『ピーター・パン』などミュージカルの演出、映画シナリオ『日本の悪霊』、テレビ大河ドラマ『風と雲と虹と』の脚本など。現在、日本演出者協会評議員、日本劇作家協会顧問。