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ロンドン南部のヴィクトリア駅から電車でたったの50分。海があり太陽があり音楽があり、ヌーディスト・ビーチだってある――。まさに「都会人のリフレッシュ休暇にはもってこい」と誰もが口をそろえて褒めちぎる英国エセックス州の町ブライトン。本年度の<ブライトン・フェスティバル>のゲスト・ディレクターである巨匠作曲家ブライアン・イーノも「フェスティバルのあいだ、英国でもっとも居心地のいい町のひとつで過ごせることが楽しみだ」と地元取材陣におべっか抜きに語っており、そんなこんなで、町を訪れるずいぶんまえから、私のブライトン期待値はうなぎのぼりにあがっていた。そして実際、ブライトン駅に到着してすぐに、この町に好感を持った。
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なにより、流れている時間が都市部とは違う。人が巨大経済機構の歯車となり、日々しこしこ労働にいそしむ大都市ロンドンとは異なり、住人たちが日向ぼっこをする野良猫のようにゆったりと呼吸している。それに学生が多く、ゲイが多く、ギターなどをかついだミュージシャンも多い。駅前にいるおじさんに「ブライトンドームはどっちですか」と訊ねると、「ああー、まっすぐ、それから海が見える頃になったら左ね」とざっくりとした道案内を受ける。でもそんな指示でも町が小ぶりなため、15分もぷらぷらと観光がてら歩いていると、迷わずブライトンドームに辿りつく。目の前にそびえるのは、なるほど「ドーム」という名にふさわしい、丸屋根の建造物。08年から11年まで、ホフェッシュ・シェクター・カンパニーが本拠地にする劇場だ。
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ブライトンドームは、19世紀末に英国王ジョージ四世が、愛人マリアとの愛の巣のために建設した<ロイヤル・パヴィリヨン>に併設される。パヴィリヨンを建設する際に、奇抜趣味のジョージ四世は「インドのタジマハールのようにしてくれ」と建築家にたのんだそうで、確かに、外観から内装にいたるまであらゆるものがオリエンタル趣味に統一されている。またドーム内には大・中・小の三つの劇場があり、ホフェッシュ・シェクターが五月に世界初演する『ポリティカル・マザー』は、小劇場パヴィリヨン・シアターで上演される。ここはかつて王族のサパー・ルーム(軽食室)として利用された場所で、1935年に劇場として改装されたのだという。
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| 私が取材に訪れた三月某日には、その旧サパー・ルームの奥の奥、高窓から陽の入る屋根裏部屋のようなスタジオで、来たる新作発表にむけてホフェッシュ・シェクター率いる10人のダンサーたちがリハーサルに励んでいた。
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| 男性5人に女性5人。アジア系からヨーロッパ系まで、人種も背格好もばらばらの若者たち。まるで国籍不明のボヘミアン基地のように、彼らはゆったりと静かにその場で共生している。出番を待って寝そべるもの、傍らでヨガ体操をするもの、動きを淡々とリピート練習するもの。そしてそのただなかで、次から次に底尽きることなく、奇妙な動きをあみだすホフェッシュ・シェクターがいる。
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腰を痛めて正しいサラート(礼拝の姿勢)ができなくなったイスラム教徒のように、中腰で身をくねらす。怪獣と昆虫のあいの子のように、荒々しくもへんてこなフォルムで痙攣する。グルーヴィーな高速ドジョウすくいのように腕をふりあげ舞い踊る。誰も見たことのない新種の身体言語が、まるで考えなしに作っているかのようにホフェッシュからほいほい生まれてくる。あとで本人に、どこからあの動きは出てくるのか、と尋ねると……「曖昧模糊としていながらも、絶対的な感覚」というものが彼のなかにはあるらしく、その「感覚」をたよりに、おのずとムーヴメントは生まれてくるのだという。
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まるで底なしに振付が生まれてくるように思えるホフェッシュは、現在、このブライトンでの新作準備と同時に、ロンドンやバーミンガムでのプロジェクトも進めているところ。さらにロンドンのサドラーズ・ウェルズにはじまり、パリのテアトル・ドゥ・ラ・ヴィル、リヨンのビエンナーレ・ドゥ・ラ・ダンス、ローマのローマヨーロッパ・フェスティバルなど世界一流の劇場やフェスティバルも彼に共同制作を依頼してきている。でもホフェッシュ本人は決して浮き足立つことがない。稽古のあいまに私と雑談を交わし「いまはホフェッシュ・バブルだって自分でもわかってるよ(笑)」と茶化してみせる余裕さえある。いっけんどこにでもいる今どきの気弱な青年に見えるが、心の底では自分の創作物に対して不動の自信を持つのかもしれない。まさにコンテンポラリー・ダンス界の時の人であるホフェッシュの日本初公演。見たこともないカオティックな身体言語に心を揺さぶられること請けあいだ。
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